ぷれこんさあと

【2019年2月-3月】

ありはしないものを意識する

 「横山大観VS日本画の巨匠たち」とのタイトルに心惹かれ、安来の足立美術館に行ってきた。平日の午後なのに、多くの観光客でにぎわっていた。目的の部屋に着くと、声高に「よくわからんが高そうやねー、いくらぐらいするんやろう」「意外と平凡やね。誰でもマネできるんとちゃう」などと無遠慮な話声。添乗員と思しき方に窘められつつ、その一団は去っていった。

 ほっと一息ついて絵を見比べ眺めてみると、確かに好企画。私のようなものが大観の絵をあれこれ言う資格は無いのだが、何故か切羽詰まったところが無い様に感じる。その中で特に、「晩秋」に目を奪われてしまった。可愛いリスの周りに、微妙に彩色された柿の葉がすべて正面を向いて描かれ、解説はそれを「図案化」としていた。なるほど、それって余裕と遊び心なのかな、と思ったら、音楽が頭の中で鳴り始めた。何とモーツァルトのクラリネット五重奏曲…。

 逆にコンサートの演奏から、光や色彩に風、さらに作曲家や音楽の神様の存在すら感じたこともある。私だけではなく皆さんからのアンケートにもお見受けする。

 中学生の頃から、父を始めとする先達から絶えず聞かされていた言葉に「心の目で見て、心の耳で聴け」がある。皆さんも何度か目や耳にされたと思う。私が尊敬してやまないグレン・グールドの言葉にも「人間についてもっとも感動的なこと、おそらくそれだけが人間の愚かさや野蛮を免罪するものなのですが、それは存在しないものという概念を発明したことです*」というのがある。トロント大学王立音楽院の卒業式(1964年)での「贈る言葉」だ。事実の見方についての助言の骨子として語られていて、ありはしないものを意識し続けねばならないと、説いている。

フォンテックFOCD-9682 モーツァルト:クラリネット五重奏曲 他 若いころは、そのようなことを言われ続けてはいたものの、実感の伴うものではなかった。しかし「何ものにも囚われず、あるがまま」という先達の言葉に出会ってから「存在しないもの」を意識できるようになっていった。でもよく忘れて、つい懸命に見たり聴こうとする自分がある。そこに先の観光客の言葉で、肩の力が抜け「虚心坦懐」に絵を見る事が出来たのであろう。まさに至福の時だった。

 改めて、ウェールズ弦楽四重奏団とクラリネットの金子平のCDで五重奏曲を聴いてみた。実に誠実で、嘘やハッタリの無い演奏。しかも押さえるべきところはしっかり押さえた、メリハリの効いた演奏だが、管楽器の入った作品の特徴として、どことなくユーモラスで深刻さはない反面、神秘性もあり納得させられた。

 プラバで演奏する彼ら、モーツァルトが晩年、と言っても30代前半だが、この曲を書いたころの年代となった今、私たちはそこにモーツァルトの降臨を感じる事が出来るのかもわからない。

*グレン・グールド著作集1P.14・野水瑞穂訳(みすず書房刊)

 

プラバホール 芸術監督 長岡 愼

長岡 愼

 

2019年度 第34回 松江プラバ音楽祭

  

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